他に類をみない「ストーリー世界史講義」
予備校界屈指の世界史講師佐藤幸夫の講義の核となる部分がこれだ!物語性は高い専門知識と「世界史の旅」と称す80か国を越える世界旅行の実体験に裏打ちされ、独自の世界観を醸しだす。毎回展開されるその講義によって受験生は目の前で世界史が動いていくかのような錯覚すらおぼえてしまうことだろう。そして、ふと気がつけば世界史を理解している。口で言うことは簡単な「身近に感じる世界史」を体現できる数少ない世界史講師の一人が佐藤幸夫なのである。
佐藤幸夫の講義は最初の20~30分は板書、残り70~60分で語られる構成である。この前半部分にあたるのが広い黒板全面に書かれる受験世界史の「記録情報」である。例えその場である範囲の世界史を理解したとしても試験では点数がとれない。ストーリーで捉えた世界史のどの部分が入試で問われるかを受験生一人一人が思い出させる装置が必要となる。これが「絶対板書」(パーフェクト板書)である。その板書は記憶を呼びおこすための記録情報が詰め込まれているだけではなく、過去数十年にも及ぶ大学入試問題の過去問のその語句レベルにまで及ぶ難度、頻度の解析を元に作られるものである。他の世界史講師も板書を行うが現時点では彼の板書に遠く及ばないであろう。
予備校界屈指の世界史講師でありながら佐藤幸夫は生徒一人一人に対するケアを大切にしている。それは彼が常に教育者でありたいとする源流からきている。学習プランナーとして生徒個人の講義内で効率よい学習法を伝授することだけにとどまらず、忙しい講義日程をこなしつつ、携帯サイトや、質問BOX、直接相談を通じてきめ細かい指導も行っている。
志望校に合った世界史講義が選べるようにレベル別・テーマ別の講座を提供し、夏期・冬期講習の時期にはスケジュールの合間に普段はサテライン(衛星放送授業)しか行われていない校舎を訪問して生徒の受験相談に答えている。いつかあなたの町のサテライン校舎に佐藤幸夫が現れるかもしれない。そんな期待すら抱かせてくれる講師である。
また、世界史を教訓とし受験に合格することだけでなくこれからどう生きるかを考えさせてもくれる。世界史を通して、国際人への夢を抱かせることが教育者としての役割だと考えているからである。
板書+講義の形式は暗記科目では効率が悪いのではないか。いや、板書があるからこそその授業を授業内に十分理解できる。だから方向性のある復習ができるのだ。このように板書を使った授業にはいろいろな意見があります。これは、受験生のレベルや習熟度、対象講座によって板書の重要性が異なることからおきる誤解なのです。
絶対板書+ストーリー講義が完成するまで
まず、私がなぜ今の授業形態に行きついたのかをお話しします。私の高校時代の世界史成績はトップレベルで、殆どの模試でベストテンに入るほどでした。その私に世界史を教えてくれた高校の先生が基本的には板書+ストーリーだったのです。しかし、高校の授業時間では受験の世界史の範囲を網羅できず、一部分がプリントになっていました。
そのプリントになったのが、今でも忘れもしない「東南アジア」「モンゴル」「ドイツ・イタリア統一」「辛亥革命~日中戦争」です。私はそのプリントにある箇所を必死ノートに書き写し、資料集や用語集を見ながら覚えなおしたのですが、先生の口調やパーフォーマンス、板書の特徴が思い浮かばず、思うように学習を進めることができなかったのです。
世界史の成績のよかった私ですらそのような苦労をする事態となったプリントを使った学習を、効率がいいからと生徒に勧められるわけがありません。私はその後学芸大学でさまざまな教授法や授業と家庭学習の連動性について学び、アルバイトでやっていた塾講師で実証を重ねました。その結果、やはり生徒の成績や生徒が書いた板書のノート・小テストの結果などが成績の向上と深い関連性をもっていたのです。そして講師経験を重ねている中で、90分中、最初の約30分は板書のみ。残りの60分でサブノート形式の板書にストーリー解説をしながら、空所埋め&追加コメントを書いていく授業の形式にたどりつきました。
最初に板書に集中させるということ
なぜ、最初の30分間板書を書くことのみに集中させているのか。これは、大量の板書を書きながら人の話に集中することは、大人でも難しいと思うからです。聞いて理解しているようで、実のところは書くことに集中しているため、聞き逃しが出てしまい、ストーリー(理解しうる世界史の流れ)がぶつ切りになってしまうのです。字幕がある映画の字幕の重要場面の字幕文章を一言残らず書き写しながら映画の見ても映画全体のイメージは頭には残りません。
それに学校の授業は今でも45~55分です。最近はそれさえも集中していくことができない子供たちが、面白い話しであっても60分以上の話に集中できるのか。世界史にもともと興味があったり、得意な受験生ならついていけるかもしれませんが、初学者は苦手意識をもっている受験生だって大勢いるのです。
私の講義の核は板書だけではありません。世界旅行の実体験に裏打ちされたストーリー講義と板書が私の講義の核なのです。板書はそのストーリーを再現する記録情報であり、その記録情報があらかじめ目の前に展開されているからこそ、ストーリーを完全に理解できるのです。もちろん、その板書をノートに書き写してあれば大学受験に必要な基本情報をほぼ網羅できるのです。
講座レベルや習熟度に応じた板書の工夫
私の講義はいずれの講義も板書はしっかりしています。しかし、講座によって、その量やその重要性は違います。以下、講座ごとの板書、オリジナルテキスト、ノートの重要度を説明します。
センター世界史のような「基礎や全体の流れを捉える&講義数が少ない講座」は、板書時間がもったいないのと、このレベルは用語を記憶に残すことでなく、全体像と流れを記憶に残すことが大切で、かつ暗記は後からすれば間に合うレベルです。ですから、テキストをサブノート形式にし、板書で流れを確認しながら、テキストの用語をチャックするという教授法をとっています。
また、ストーリー性をあまり必要としない最高水準講座や文化史や問題演習講義やセンター&大学対策講義などもテキストを充実させ、板書はあくまでも補助アイテムとして授業を展開しています。なので、板書量は少なくなります。このようなクラスでは学力水準の高い生徒が多く、彼らは情報処理能力が高いため、プリント(テキスト)を上手に工夫し、自分なりにノート化できてしまうのです。より賢い子は、ノートを作り、そこにプリントをはり、私の簡単な板書を追加するという方式で学習を進めています。
一方、ストーリー重視のため、しっかり顔をあげて授業を聞き、授業内で「ドラマ」を再現し、理解してもらいたい講座、例えば通史完成を目指すコンプリート世界史や1つ1つの出来事が物語化する夏期講習や冬期講習の戦後史・テーマ史・各国史などの授業は、ストーリー講義&バイブル板書で完成させていきます。
暗記科目でのノート作りは本当に必要なのかという意見もあります。プリントでもいいのではないか。ノートを作る時間がむだではないかという批判も多く耳にします。これは限られた時間の中で、「暗記をするためにまず何をすべきか」という考え方の違いからくるものだと思います。
絶対ノート(バイブルノート)の完成へ
最初に重要なことを指摘しておきたいと思います。それはノート作りというのは板書された語句をただ綺麗にノートに写すことで終わりになるのではないということです。
暗記しやすいように自分なりに整理し、講義で追加された言葉をうまくはめ込み、講義内で使った地図や図表も覚えやすいように形作っていきます。これは、よりしっかりと長く繰り返し覚えるために「必要な工夫」なのです。最終的にどのようなまとめかたや補充の仕方が覚えやすいかは受験生のレベルや習熟度により異なりますから、こちらから一律に全てを与えても決して定着率の高い学習はできないのです。こうして受験生のつくるノートは個々の学力を反映した絶対的なものとなります。
私はこうして作られるノートをバイブルノートと呼んでいます。私の講義と板書から受験生自身が絶対的なノート(バイブル)を作り出していくのです。その点からみると私は世界史受験生の神様的な存在ではなく、世界史を受験する生徒に成功への道筋を示す伝道師のような存在だと思います。
一人一人を大切に
もちろんノート作りは時間との兼ね合いもあります。私は1回の講義のノート作りは1時間30分以内にと指示しています。勿論、丁寧に工夫して書くことは大切なことではありますが、時間をかけすぎ、一問一答や問題演習などのアウトプット行為を怠っては本末転倒です。また、苦労して作ったノートではあるけれど不慣れなために十分な効果を発揮できないまとめになってしまうこともあるでしょう。作ったノートをどのように暗記するのかで迷っている受験生もいます。
私はこれが出るから覚えろ!ではなく、「こうノートをまとめたほうがより分かりやすくなるよ。このように使うとより効果的な学習ができるよ。」といった、個別に存在する問題を解決できるアドバイスを丁寧に行っています。講師室に私への質問の列が絶えないのはそのためです。もちろん、サテラインなど衛星やインターネットを通じて私の講義を受講している人もいるでしょう。そうした人達のために携帯サイトやこのサイトを通じて公平で均質なケアができるように心がけています。